小泉孝太郎さんは政治家ではなく、大学を中退してまで俳優になる道を選んだのか気になりませんか?
政治家にならなかったのは父・小泉純一郎(元内閣総理大臣)や高校の時の担任から「小泉が一番没頭できること、一生懸命になれることを探しなさい」と言われたことが影響しています。
この記事では、小泉孝太郎さんの高校時代の野球部での活動から大学中退後の進路選択までまとめています。
小泉孝太郎の学歴
小泉孝太郎さんは、小学校から高校まで一貫して関東学院六浦に通っていました。
幼い頃から野球をやっていて、小学4年生からは少年野球チームでピッチャーを務めていました。
中学校でも野球を続け、レギュラーとして活躍。
その後、同じ関東学院六浦高等学校に進学し、野球部のキャプテンも務めました。
大学は日本大学経済学部Ⅱ部の夜間部に通っていました。
高校時代と偏差値
小泉孝太郎さんは関東学院六浦高等学校に通っていました。
偏差値は52です。
野球部では、サードのポジションで甲子園を目指して懸命に練習に励んでいたといいます。
しかし、高校2年生で腰を痛め、3年生の時には椎間板ヘルニアを発症。
残念ながら、最後の夏の大会にはベンチ入りすることができませんでした。
この経験は小泉さんにとって大きな挫折となり、いまでもその悔しさは忘れていないと話しています。
高校卒業後の進路に悩んだ小泉孝太郎さんは、当時の担任から「小泉が一番没頭できること、一生懸命になれることを探しなさい」とアドバイスされたことが支えになりました。
父親である小泉純一郎元首相からは「政治家はつらい仕事だ。他に夢中になれることを探せ」とも言われていたようです。
大学を中退したのはなぜ?
小泉孝太郎さんは2年間の浪人生活を経て、日本大学経済学部Ⅱ部(夜間部・偏差値45)に入学しました。
大学時代はとび職に憧れて建設現場でアルバイトしたり、バナナを乗せるだけのバイトをしていたと言います。
さらに合コンにも明け暮れていたようです。
合コンのときは、父親が誰かがバレるので名字を名乗らなかったと言います。
女性とデート中に、父親の選挙ポスターを見て我に返っていたというエピソードもあります。
しかし、大学生活を送る中で将来の方向性に悩むようになりました。
そんなとき、父である小泉純一郎元首相からは「無駄に大学の4年間を過ごすくらいなら、やりたいことに挑戦すればいい」というアドバイスを受けていました。
大学在学中、22歳の時に俳優になりたいと思い「21世紀の石原裕次郎を探せ」というオーディションに挑戦しましたが、身長が180cmに満たなかったため二次審査で落選しています。
この経験をきっかけに、本格的に芸能界を目指すことを決意します。
2001年に父親が内閣総理大臣に就任したことで芸能事務所からオファーを受け、これを機に大学を中退して芸能界入りしました。
デビュー当時の話し
20210110 おしゃれイズム未公開だけSP!より
— NF0719TW (@H_Tracy_TW) January 10, 2021
《デビュー当時に藤木と…》
小泉孝太郎さんと共演話聞けてよかったです🤗#藤木直人#小泉孝太郎#おしゃれイズム pic.twitter.com/p9SdBi4HAo
おしゃれイズムに出演した際に、デビュー当時は藤木直人さんに大変お世話になったと語っています。
まとめ
小泉孝太郎さんの大学中退は単なる学業放棄ではなく、自分の将来を真剣に考えた末の決断でした。
父親からのアドバイスもあり、政治家ではなく新しい道を選ぶ勇気を持つことができたのです。
高校時代の野球での挫折を経験しながらも、新たな夢を見つけ挑戦し続ける姿勢は、多くの人々に勇気を与えているのではないでしょうか。